映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』特別メイキング映像/音楽:ベア・マクレアリー
ハリウッド版ゴジラの第二弾『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』の
テーマ曲が素晴らしいことは以前書いたが、音楽のメイキングビデオを
観てなおその感を深くした。
和太鼓や日本の祭りの掛け声が入っていることは承知していたが、
よもや僧侶たちの読経(たぶん般若心経)が仕込まれているとは
思わなかった。
ゴジラ生誕の地日本へのオマージュであろうが、誰の
案なのかその感性がみずみずしく素晴らしい。
土日の映画館は避けるのだが、このメイキングの様子を見て
矢も盾もたまらず向かったのが、TOHOシネマズ日比谷である。
東京で一番好きな映画館だ。日比谷ミッドタウン内に到る
地下鉄からのエントランスが豪華だし、ロビーから見下ろす
日比谷公園のたっぷりとした緑がいい。皇居を控えている
土地柄か「気」もとてもいいのだ。
興行収入でトップを取るたぐいの映画に対して私は
「ボヘミアン・ラプソディ」を唯一の例外として、胸に響くことが少ないのだがだゴジラでも、居眠りすることしばしば、怪獣の吠える声に目を覚ますということを繰り返し、それでも最後まで見たのは、ひとえに良い音響で音楽を聴きたかったからである。
ゴジラ復活で、掛け声とともについにテーマ曲のイントロが流れると、
鳥肌が立った。
そして、それをたっぷり聴けたのが予想通り、エンディングのクレジット
タイトルだった。
満席だったのだが、私の前の席にはスリランカ人かネパール人かと
思われる人が3人、壁際の席を予約時点で選んだ私の右隣には
黒人の5人グループである。
その前日マクドナルドで、いやにこなれた英語が聞こえ見れば
売り子が白人の若い女。その背後で立ち働いているのは中年の
白人男性だった。いよいよ、外国人が多くなっている。
中国語は相変わらず飛び交っているし、将来この日本に
どのくらいの外国人が住むのか、おそらく相当数であろう。
再三書いているように、マナーと日本人の民度がそのことにより
落ちるのが懸念される。
映画館の座席における黒人たちのマナーの悪さには絶句した。
映画の間中、カップル同士で喋り続け話と関係のないところで笑い声を上げ、
時に前の席を蹴って揺らし合間に大きな音で鼻を噛むのである。
こんな質悪い観客は初めて見た。
あまり行儀のよいとは言えない豪州の映画館でも見かけた
ことがない。前の席の外国たちはごく静かであった。
怪獣だの兵器だのの大音響なので、彼らのひっきりなしのお喋りも笑い声も
まだ耐えられたのだが、これがアーティスティックな静かな
映画であれば、私もキレたところだった。
彼らがその種の映画を観に来ようとは思わないが。
中国や韓国の人々のお行儀の悪さが言われるのは、訪れるその人数が
多いからだろうし、また両国とも現地で私も多少は見知ってもいる。
しかし、黒人のマナーの悪さに遭遇したのは、初めてだった。
思えば身近に接したことがない。だから、いくらか衝撃的ではあった。
無論たった6人を挙げて、黒人皆がそうだというのではない。
ただ差別には反対だが、差別される側に全く原因がないのかな、
とはちらっと脳裏をよぎった。社会や国の構造的差別とは、むろん
次元が違う所で、である。
クレジットタイトルが流れ始め、場内がまだ暗いのにいっせいに
席を立って帰っていったのも彼ら6人である。無論、空いている時は
自由であるが満席であり、彼らは狭い空間に座っている観客達の膝を
押しのけるようにどやどやと出て行き、映画の余韻に浸りたい人には迷惑で
あったろうし、音楽目的で来た私にはクレジットタイトルの時間こそが
眼目であったので、注意が削がれて残念だった。
クレジットタイトルの後、映画は後日譚的なシーンがあり、
黒人の人たちが見逃した所で大したことはないのだが、続編狙いの意図が
ありあり。私は音楽を聴けたことで、もう満足である。
クレジットの最後に、「献辞」ふうに二人の日本人名があった。
これは日本版、あるいはハリウッド版のゴジラに功績があった
方々であろうか。経緯を知らぬながら、胸に迫った。
テーマ曲の中にはザ・ピーナッツが主題歌を歌った「モスラ」のテーマもさり気なく織り込まれていて、これにも心が震えた。
モスラの歌 - Mothra Song
思えば「ゴジラ」は、下手な外交官よりいい仕事をしているではないか。
安倍政権はゴジラに国民栄誉賞を授けるべし。中国のポスターも
富士山に桜、五重塔を配して日本色が濃い。
思えばザ・ピーナッツ当時の当時の怪獣映画は、もっと日常に暮らす
人々が描かれていてだから心を寄せて見ていられたのかもしれない。
ゴジラの歩く地響きで、たとえばお膳の卵が転がり落ちるごとき
日常リアリティがあった。
動画の中でも、モスラの羽ばたきで車が巻き上がられ家の壁に
激突、という微笑ましさ。
今は、エリートの科学者たちと軍人たちが近代機器を駆使しての
大掛かりなあたかもゲームの世界の出来事である。
ゴジラの英語表記『GODZILLA』にGODが入っているのが象徴的だが、
これは最初のネーミングの時に意図されていたことか、
ハリウッドにゴジラが進出してからの英語表記なのか、
私は知らないのだが、いいネーミングだと思う。
ゴジラ、ラドン、モスラ、と私には少年期のヒーローたちの
総登場でもあった。
音楽の他に印象深いシーンは、エジプト時代より遥か以前の
荘厳な遺跡が海中に現れたところである。
日本の神話もよく勉強したな、と思わせる映画であり創りての
熱気がこもっていることは感じた。それにゴジラに対する敬意と。
渡辺謙さん演じる日本人科学者が人類を救うヒーローとして描かれているのは、これもゴジラの生みの国日本へのリスペクトなのであろうか。
ハリウッド映画の画面の中にいる人と、文通したことがある、というのが
もう遠い昔、もはや実感がない。端正な書き文字であったと
それだけを記憶している。当時は家も近くだった。