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Channel: 井沢満ブログ
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日本人とは何か

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 今上帝即位に各界から寄せられる祝意コメントを一冊にまとめ、宮内庁に奉納するそうで、そのコメント文を求められたのがかなり前のことであり、それ以来「日本人とは何か」と漠然と考えて来たが、天皇を国の扇の要として戴き続けて来たということが、日本人であることの大きな要素ではあろう。2700年に渡り一系統でつないで来た王朝を日本以外に世界は持たない。

 日本人の精神の根幹に皇室があることと並んで、世界でも突出して多彩な語彙を有する日本語の共有を、日本人の特質の一つに挙げたい。

言語としての豊潤さに加え、日本語には「神と人とを結ぶ霊」がこもる。

磯城島(しきしま)の日本(やまと)の国は言霊の幸(さきは)ふ国ぞま幸(さき)くありこそ (万葉集)

 古来より日本人は,言葉それ自体が帯びる霊力を感知,言葉が現実を形成するとして来た稀有な民族であった。言葉に託して量子力学的世界観を、大和民族の精神性の有り処(ありど)である縄文時代より有して来た。

 日本人を象徴するキーワードは、「天皇、言霊、和」であろう。

  あらゆる存在に神を感知、分け御霊として神を自らの裡に観じる日本人は一神教に本能的に馴染まない。神人一如が本来の姿である。

 それゆえ、時に無宗教と見做されるが、宗教という、神と人、人と人とを上下に分離させる「組織」を本能的に受け入れないのだ。宗教(という組織)が強いる戒律を必要としない。随神(かんながら)の「道」を誰に押し付けられることもなく自然に古来より歩んで来た。付記すれば先祖への尊崇も、日本人固有であるかもしれない。「個」の優先から先祖への敬愛は生まれないだろう。先祖という死者も日本では神になる。

 華道、武道というごとくスポーツもアートも日本人にとっては神へ向かってひた歩く一筋の「道」なのだ。他国には見られない特有の感性であろう。

 「日本は神の国」という発言は政治家としては浅慮であるが、古来より天皇が祝詞という神韻を秘めた言葉で神と民とをつなぎ続けてきた祭祀王であれば、間違ってはいない。

大和の民の天に向かって放つ言葉は五七の韻律を有し、古代の日本文字である神代文字(ヲシテ文字)(ホツマ文字)で表される二十四声(ふそよごえ)での陰陽の配列「あわうた」や「ひふみ祝詞」も五七のリズムで神歌を歌い継いできた。

 あわうたは歌いだしの「あ (天)」から結びの「わ(地)」まで図で見ると螺旋を描いている。 物質の根源である原子構造からDNA、宇宙に至るまで螺旋。螺旋は神のグランドデザインかと思われる。日本では言葉にも螺旋を秘めたその凄み。あわうたはホツマツタエによると伊耶那岐命と伊弉諾尊の御製と伝えられている。

また縄文の火焔土器のトーラス(フリーエネルギー)説は矢作直樹氏であるが、他土器も渦巻き(螺旋)を見れば、古代日本人の霊的直感に畏怖の念を抱く。上野の縄文展で見たその実感からも、縄文時代の出土品は、世界四大文明のそれを上回る。

 「日本語は国の防波堤である」というのがわたくしの持論だが、

侵略者は常に相手の言葉を破壊、奪うことから手をつける。

日本語の喪失は神の喪失でもある。

 自ら国語を棄てる国もあり、それらの国はいずれ滅びに向かうこと、某国某国の例を見れば明らかであろう。 言葉を単なる意思伝達のツールだと見做せば粗略に扱いもする。思えば自らの言葉を軽んじる国々は神を持たずに来た国でもあった。

 

 国を表すのに「国家」と「家」の感性を有するのも日本人固有である。神と意識をつなげる天皇を家長として国を営み続けて来た。

 だが日本という家の「家風」に敬意を払ってくれさえすれば他国からの客を迎えるにきわめて鷹揚であった。「他家」からもたらされる文化を取り入れるに柔軟でもあった。

 古来よりの家風に敬意を払ってくれさえすれば訪問者を家族として迎えるのにやぶさかではないのは、現代も同様である。

 外国人であっても家族と呼ぶに躊躇することはない相手がいる一方、同胞と呼ぶにためらう日本人もいて、ことは国籍の次元にはないこと、先般のラグビーワールドカップを見れば明らかであろう。君が代を、心を一つに結び歌えればそれが同胞である。

 つまるところ日本人とは精神性であり、必ずしも国籍ではない。

 末尾に、日本は漢字伝来以前に文字を有していたこと、記紀(古事記 日本書紀)以前に古代文書(古代古伝)のあったことを知っておきたい。「ホツマツタエ」は古代大和ことばで綴られた一万行に及ぶ叙事詩であり、縄文後期中葉からの神々の歴史・文化を伝えているとされている。

 日本人の高い精神性のルーツである縄文時代を教科書から消し去った輩がいる。国籍を日本に置けど、これらは日本人ではない。侵略者に寝返った一味である。

 縄文時代の精神性の高さは、大陸からの侵略者の乱入で弥生時代に低下したこと、敗戦後に蛮族にやられた後の日本と同様である。

 言語の劣化による日本人の精神性の低下は今なお続いている。

 本来、日本人にとって、言葉はほぼ神と同義であった。

 日本語は単なる意思伝達の手段ではなく、根本創造主である神への架け橋なのだ。

 それを心の奥底(おうてい)に刻印しておきたい。日本人であることの誇りを取り戻すために。

 

 拙文中の不備は後ほど加筆訂正させていただきます

 

 

 


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