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Channel: 井沢満ブログ
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絵画展

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 三田佳子さんの舞台を拝見しに渋谷の文化村を訪れたことは
書きましたが、方向音痴なのでいつも早めに家を出るせいで
1時間も早く着いてしまいました。

それが文化村のありがたさで、展覧会を常時やっています。
「絵画の夢 ラファエル前派展」という展示があったので
そちらへ足を向けたのです。

音楽を含め、あらゆる美しいものに触れるのが魂の
進化であり浄化です。ところが、私実は絵画音痴。

描くのも異常に下手です。小学生の時野外スケッチ展で
朝日新聞社賞というのと、あと中学生の時の美術の時間、
女性との肖像画で、先生に「感覚が面白い」と褒めてもらったことが
乏しい私の美術歴です。

朝日新聞社賞というのは、被写体と構図を決めかねて幼い私が
ウロウロしている間に、終了時間が過ぎ、パニックになって
画用紙にほとんど半狂乱に殴り書きしたら、その
切羽詰まった「迫力」が買われたらしく、しかし今思っても
ただ、緑や茶のクレヨンでぐじゃぐじゃにした、形なき
混乱。中学生の美術の時間の時のは、女性との顔を
大きく描きすぎて、ああもうこりゃダメだ、と
髪の毛を茶色に塗りたくって、何しろ茶髪が現れるのはそのはるか
以降ですから、珍しかったのでしょう「面白い」という
美術教師の評価でしたが、級友は「鬼みたい」と言っていたのを
覚えています。

生涯2度絵画で褒められたその2度とも、上手く描けず
逆上気味に画用紙に塗りたくった・・・・火事場の馬鹿力的
迫力を評価されたのでした。

今でも、絵画どころか三角や丸すら描けません。

手塚治虫さんは、コンパスを使わず正確な丸を描ける方で、
それが出来なくなったら絵筆を措く時だと思っていたようです。
手塚さんの生涯をドラマ化した時、知りました。

ラファエル前派展ですが、英国のリバプールから運ばれてきた
絵画です。1800年台、1900年台初頭の絵が、
息のかかる距離にあることに、まず感動を覚えます。

画家の肉体的命は、とっくにこの世にはないのに、その
魂が放った火花は、なお極東の一角で光を明滅させている
不思議さ。

といって、私に鑑賞能力はないので、ナルキッソスと
木魂の妖精の絵を見ては(ナルキッソスが美しく描かれているのに、
妖精のおねーちゃんが、なおざりだなあ。ナルキッソスという男の
裸では売り物にならないので、おねーちゃんの裸を
無理やり描いたのかなぁ)などと、心のなかの声ないので、
はばかりがありません。

それにしても、飾りたい絵がありません。けなしているのではなく、
自分の部屋に置くとしたら、という目で見たらということです。
死者を描いた絵など、誰が飾ったのかその感性が不思議です。

遠近法を敢えて無視したデザイン的な絵は、当時批評でさんざん
だったそうですが、私の目には面白く映りました。
何でも新しい物が登場した時はとりあえず、叩かれるのかもしれません。
でも100年後に評価を得るのがアートの面白さです。

唯一個人的に所蔵したいなと思ったのが、これは相性の問題なんだと思うのですが、ジェイムズ・ハミルトン・ヘイという画家の、「流れ星」という
作品でした。

画面の殆どを、暗い夜空が占めていて流れ星は目を凝らさないと
解らないほど儚げな描かれ方。星座もちゃんと描かれているそうなのですが、
空の下は冷え冷えとした雪景色で、民家がぽつんと一軒。
異国の地で迷子になった時のような、心細さを感じさせる
絵でしたがこれにひょっとしたら、暖かな安らぎを覚える人も
いるかもしれません。

ぼうっと明かりの見える民家に、一家だんらんを想定しその暖炉に
燃える火、赤ん坊の声、笑い声、猫や犬の鳴き声などを
イメージで託せる人にとっては、多分温かな絵なのかもしれません。
私には家自体が一人住まいの孤独を感じさせ、惹かれながらも
飾る気にはなれませんでした。

あなたの目にはどのように映じるでしょうか。

                ジェイムズ・ハミルトン・ヘイ
                    流れ星

             キャンバスに油彩 1909年 64×76.8

 

             

 


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