「生前退位」に関して、80~90%の国民が「高齢の陛下が
お気の毒。早くお休みになっていただきたい」という理由から
賛成というアンケートが出ていて、わたくしなどは、ほとほと
その人数の多さに、胸塞がる思いをしていたのです。
摂政という制度のあることや、他正しい情報を得た上での
賛成であるなら、わたくしも滅入らないのですが明らかに
マスメディア、主にテレビの偏った情報による誘導に
やすやすと乗せられての賛意なので、ここまで人は愚かしいのかと、
僭越ながら心塞ぐ思いをしていたのでした。
しかし、普段から皇室に身近に接している皇室記者の人たちは
流石に、ことの経緯の根っこにある真実は把握していたようで、
そのことには、ほっとしました。
「週刊新潮」最新号(’16.9・15)が【60%程度は】真実に踏み込んで報道されているので、わたくし風情も、さらに語りやすくなりました。皇室に対して言挙げすることじたいが不敬と思われる方々もいらっしゃるでしょうが、いま目の前にある危機は単に、皇室内の小さな嵐ではなく、もっと大きな勢力が背景に動いているので、不敬に当たらぬよう、口をつぐんでいることこそ、最大の不敬であるような、そんな時代に突入しています・・・・・・。
陛下をはじめ、皇族方の動静を専門に取材している記者たちの「宮内庁記者会」における論調は「失望」であると週刊新潮は報じています。
週刊誌ごときの報道を真に受けて、と軽んじる人たちもいるのですが、
週刊新潮と文春は、相当丹念な取材がなされていて、そうそう事実と大きく乖離する記事は、たまの例外を除きありません。
また、生前退位リークに秋篠宮殿下が関わっていらっしゃるという、誰が何の目的で流されたか解らない情報に対しては、宮内庁はそのHPで決然と抗議、否定をしているところを見ると、宮内庁から指摘のない記事に関しては、まるきりのでたらめではない、と判断してもよいでしょう。
記者会の陛下への失望の内容は「禁じ手・・・おやりになってはならないことをなさってしまった」と新潮は書いています。
《陛下がお気持ちを示されれば、多少なりとも政治性を帯び、すなわち憲法に抵触する虞(おそれ)がーー》 (新潮)
新潮の今回の記事で、新しい情報は天皇陛下の「私心」により、政府が動いてーーつまりは憲法違反ですーーなされた「公務」が明記されたことです。
つまり、あの「公務」もこの「公務」も公務に見せかけた、天皇陛下の私心から出た行動、つまりは憲法違反であった・・・・と。随分思い切ったリークです。つまりは宮内庁記者会が掴んでいて、今までは見ぬふりしていたことが今回公表されてしまった、ということでしょう。おそらく生前退位のお気持ちに端を発した、陛下、あんまりではございませんか、という宮内庁記者たちの思い余った心情の発露でしょうか。
《『女性宮家構想』など、まさしく陛下の思し召しに他なりません》(新潮)
これは大事なところで、生前退位論を行う上で外せない箇所です。
というのは、生前退位論になぜ唐突なまでに女性天皇すなわち愛子さま天皇擁立論」がくっついて来るのか・・・・その考察のよすがになるからです。
「女性宮家創設」は、女性天皇論をさらに一歩具体的に進めることでもあります。先にわたくしは、生前退位論の最終目標は実は、愛子さま天皇実現への布石ではなかろうか、という意味のことを書きました。
週刊新潮の記事を読み、その思いを深くします。
そう考えれば、「生前退位」と本来関係ないはずの「愛子さま天皇擁立論」が、ワンセットで生前退位に組み込まれていることの、説明がつきます。
わたくしは、それは天皇陛下のご要望であるというよりは、皇后陛下の願いではなかろうか、と過去の報道における片言隻語から想像しています。
さらにうがてば、高円宮殿下とタッグを組み、努力して入内させた娘さんが男子を生さぬことに絶望されていたご様子の小和田恒氏の意向もあるのか・・・・・という可能性もなくはないのかもしれません。
それにしても、このタイミングであろうことか秋篠宮殿下がNHKにリークした
などと、あたかも秋篠宮殿下が愛子さま天皇擁立に賛成であるかのごとき、虚偽情報をいったい誰が流したのかを改めて考えるのです。
愛子さまを天皇に仰ぐとすると、秋篠宮殿下のご長子悠仁親王殿下が継承権から遠くなられてしまいます。
そのことへの批判が当然予想され、しかし当の秋篠宮殿下が承知なら、無問題であるという話の仕組みを誰が考え、FRIDAYに仕掛けたのかと、不審なのです。
宮内庁が早急に抗議と訂正をしなければ、危うく秋篠宮ご自身と悠仁親王殿下が皇位継承権の放棄に近いことを自らなさった、と思わせられるところでした。
実体は憲法違反に当たられる、天皇陛下の「私意」で政府が動かされた更なる例は《07年にはバルト3カ国を訪問されましたが》《いわば“ご趣味”も踏まえた外遊であったということです》(新潮)
要するにご趣味のレベルで陛下から持ちかけられた「海外公務」は趣味旅行で、憲法違反であるという行間での指摘です。
ただ、このレベルはなぁなぁで宮内庁記者会もそれとなく見逃して来た、というよりおそらくは好意で受け止めていたのではないでしょうか。
今回の生前退位は「度を越された、禁じ手を使われてしまった」という受け止め方なのでしょう。
《さらには一連の“慰霊の旅”である》として、本来の天皇陛下のご公務の範疇にはない「私心」からの旅として新潮はサイパンや、パラオ、フィリピンへの旅をあげています。
慰霊の旅は賞賛する人々が多く、わたくしも慰霊自体の否定ではなく、言い方がとても微妙に難しいのですが・・・・・なさる義務がおありではないことに多大に精力をお用いになられ、その分祭祀がおろそかになられたり、またご老齢の疲弊を理由に退位を言われるのは、畏れながら本末転倒ではあらせられぬか、という思いは脳裏をよぎりました。
安倍総理の遺骨収集の旅。総理が地べたに膝と手をつかれ、慟哭の表情で土の下の英霊のご遺骨に向かわれた写真には胸を衝かれましたが陛下のそれぞれの慰霊の旅では、魂に衝迫して来るごとき感情はなかったのです。
なぜかと申せば、GHQヴァイニング夫人により感受性の鋭い少年期に「日本が悪い戦争をした」と刷り込まれ、東京裁判史観をお持ちになられたまま、また皇后陛下におかれましては「A級戦犯」とおっしゃられ、そのようなお心持ちでの慰霊を果たして英霊がお喜びなのだろうか、とこれは大変申し訳無いことではございますが、悲しみにも似た思いが脳裏をよぎりました。
そういう「私心」からの旅には憲法違反にならぬよう、というのは正確な言い方ではありません、憲法違反には「見えぬよう」《徹底して水面下で調整がなされてきました。万が一にも天皇陛下の『これがしたい』とのご意向が露わになれば、憲法上の問題へと発展しかねないので、周囲が十重二十重に忖度する形をとって実現をみてきた》(新潮)
“趣味”という週刊新潮の表現を借りるなら、皇太子時代の今上陛下と妃殿下の欧州ご訪問の旅も、無用ではなかったかと当時から言われていました。
しかし、親善になるのは事実なので、そこで憲法違反を言い立てるのも、四角四面の融通のなさかもしれません。ただ、ヴァチカン訪問に関しては、皇后陛下の“趣味に走られた”のではないかと指摘があり、記者のその種の質問を受けられた時の皇后陛下の、感情を乱されたご反応が当時の記事とて残されています。
入内後も四谷の聖イグナチオ教会や母校の聖堂に頻繁にお出ましであられたことが、報道されています。それが悪いという根拠は皆無なのですが、そこはかとなき違和感を抱く人々の声は耳に致します。
雅子さまは反日傾向のある国連大学に、某大教団会長により与えられた執務室と専用エレベータを持たれていた、というWiiにおけるノンフィクション作家・河野恵子氏の記事と共に皇室の神道にはそぐわない何かを感じる人もいるのでしょう。
二代にわたる皇太子妃入内に異教二種が、有機的に絡んで来ている、と捉える人もいます。宗教や信教の自由の否定ではなく、皇室という特殊エリアにおける違和感という意味でしょう。
《さらに驚いたのは、メッセージの中で、皇室典範に定められた摂政の適用について明確に否定的なお立場を示されたことです(社会部皇室担当デスク》(新潮)
《『個人として、これまでに考えて来たことを話したい』と前置きされているものの、7月に麻生元総理が摂政制度に言及したことへの返答とも受け取れる》(新潮)
畏れながらこれまで歴代天皇陛下に「個人として」という前置きで、お言葉があったことはございません。なぜなら、現人神も象徴も「個人」ではないからです。
《もはや“国政に関する権能を有しない”と定めた憲法を踏み越えているのは明らかです》(新潮)
そして、新潮は平和憲法を守るべきものという天皇陛下の日頃のお言葉を例に引きながら、その一方で憲法違反を続けられている天皇陛下の矛盾について記述しています。
要約すれば、これまで天皇陛下が「あれをしたい、これをせよ」と周辺に忖度させる形で憲法違反を続けてこられたことを、おそらくは好意的に見過ごした来たのが、こと生前退位とそれに伴う摂政拒否宣言を、記者会では禁じ手を使われてしまった、逸脱の度が過ぎたという受け取り方なのでしょう。
《もはや“国政に関する権能を有しない”と定めた憲法を踏み越えているのは明らかです》(新潮)
《陛下は3年前、80歳のお誕生日会見で(平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法を作りーーと述べられ、続けて、(知日派の米国人の協力も忘れてはならない)そう付言されていた)》(新潮)
一方で憲法護持をおっしゃりながら、一方で権能を有しないと定められている憲法に違背なさっていらした矛盾を新潮は書いています。わたくしが個人的に気になったのは、知日派の米国人の協力も忘れてはならない)のくだりで、一体どなたの、何に対する協力なのかが読み取れないのです。
仮に・・・・・皇后陛下が心を寄せていらしたベアテ・ゴードン女史のごとき、GHQメンバーのことであるなら、わたくし個人は残念なことに思います。
憲法に関しては、わたくしはしょせんGHQ製作のGHQ憲法で、日本のためではなく日本から武力を奪い、自国の属国として搾取対象にとどめておきたい憲法だと受け止めています。この文脈で個人的感想を申し上げるのは、申し訳ないのですが・・・・・新潮のこの記述が、常日頃から実はわたくしも感じていた事なので、つい書いてしまいました。
《米国による“押しつけ憲法”から脱し、改正しようと躍起になる安倍政権を牽制されてきたとも拝察されますが》(新潮)
ついに、ここまで言い切ったかと驚かれるのですが、新潮の論点はそこにはあらず、
《そのご自身が憲法に抵触なさってしまえば、全てが水の泡です》(新潮)
女性宮家、女性天皇、女系天皇を否定、そして憲法改正を唱える安倍政権に痺れを切らしたがゆえの、“暴走”であると新潮は分析しています。
そして「皇室は常に受動的なもの」と1972年のお誕生日会見で、天皇陛下がおっしゃった言葉を引用しています。「公務というものはかなり受身的なもの」と秋篠宮殿下もおっしゃっていて、秋篠宮殿下はそれをお守りのように拝察されますが、上記述べた如く陛下におかれましては能動的であられたように思われます。
そして、週刊新潮はこの度のリークをこう分析します。
《今回のスクープの最大の“情報源”は、いわば陛下です。陛下のご了承のもと、宮内庁が公共放送とタッグを組み、壮大なシナリオを描いたわけです。侍従たちに筋書きを作らせ、事前にメディアにリークして世論の反応を探り、その上で報じた通りのご発言をなさるというのは、多分に政治的だと言わざるを得ません」》(新潮)
となれば、NHKも巨大な放送法違反をやらかしては、いないでしょうか。誰か「個人」の思いに公共の電波を利用させた、という意味で。
《受動どころか実に能動的なお振る舞いであり、こちらもまた“違憲”の疑いが濃厚だというのだ》
端的に違憲ですね。これは直視せざるを得ないでしょう。仮にわたくしごときが擁護させていただくとして、さまざま論理構成を試みるも無理です。
どなたかの主張なさる「承詔必謹(しょうしょうひっきん)」やら、「不敬」という言葉を振りかざし心情的に擁護申し上げつつ、異論者に対しては無礼者、お上の心は庶民のお前ごときのはかり知るところではない、黙らっしゃい! と非論理で押し返すしかありません。
《大半の国民が“陛下もあれだけ頑張ってこられたのだから”と感情に流されてしまった。その時点で日本中が思考停止に陥り、憲法との兼ね合いから目を逸らされてしまったのです。》(新潮)
先にわたくしは、“週刊新潮」最新号が【60%程度は】真実に踏み込んだ”と書きました。残りの40%をわたくしごとき瑣末の身がおおやけに
述べていいものか、判断に悩みます。結局、またどこかがおおやけに
発表したら、その部分は“解放区”になったかということで、触れることが
出来るのでしょう。怯懦かもしれませんが、皇室尊崇は胸の基本にあり、
口をつぐませたい人々から恫喝的に発せられる「不敬」レベルではなく、本当の意味での「不敬」は望まぬのです。
古来より天皇陛下は、竜神の形の島国の天高く赫奕と輝き続ける日輪でございました。
皇統が虹の橋となり、悠仁親王殿下へとかかりますように。
お願い
アクセス数が急激に増えています。以下をご注意願いたく存じます。
皇室へのご発言に関しては、内容は過激なもの以外は自由ですが、言葉遣い含めて敬意を払われますよう。
名と顔を晒しつつ、発言には100%の責任を負う覚悟のブログです。
ご配慮をお願いします。
匿名やUnknownでの投稿は、発言への責任担保という意味で
おやりにならないでください。
無記名の2ch的書捨てに場がなることを好みません。
常連の方はどうぞ一つの名前で押し通されますように。
ありがちのHNはかぶるので、避けたほうが無難です。
これまで、全てのコメントを公開して参りましたが、以降礼節を逸脱したコメントは公開しかねます。ご了承ください。ありがとうございます。