どうしていらっしゃるかな・・・・と思いつつも、病に臥せっていらっしゃるということで、
清順先生は私にそんな姿は見せたくないであろうと思い、また私も見たくなく
連絡も差し上げないまま日がいつしか経ち、このたびの突然の訃報でした。
先生とのご縁は拙作「みちしるべ」という作品に俳優として、加藤治子さんと
ご夫婦役で出て頂いて以来で、その作品はプラハの国際テレビ祭で
グランプリを得て、国内外で繰り返しオンエアされました。
ロケ先の宿の一室で、治子さんと3人で酒盛りをしたことを思い出します。
随分目をかけて頂き、かわいがって頂きました。
そのキッカケがたぶん、越後上布の着物と水たまりです。
NHKで顔合わせした時、外に食べに出ようということになり局外に出たら
雨は上がっていたものの、水たまり。
私がその時着ていたのが越後上布の着物であり、清順監督は
「裾をからげたら?」と言ってくださったのですが、なんだろう、
たぶん意気がったのだと思いますが、「構わないんです」と
わざと、スタスタ水たまりを避けもせず、裾もからげず
平然と歩いたのでした。
そこで、よっしゃと、なったらしいのです。
先程見たWikiで、呉服屋さんの息子さんだそうで、着物の価値は
今にして思えばお解りだったのでしょう。
その越後上布は、今の価格200万円ほどには当時高くはなかったのですが
高価な着物であったことには違いありません。
それを無造作に水たまりをバシャバシャ歩いてみせた私の
ある種の見栄が痛くお気に召したようで、引っ越せば転居先にご自身で
籐の衝立を担いでお祝いに駆けつけてくださり、車椅子になられるまで
お付き合いが続きました。
「肉体の門」という清順監督作品があるのですが、その新バージョンを撮りたいので
シナリオを書いてくれと依頼を受け、考える所あり映画のお話は軒並みご辞退していた
ときでしたが、成就監督のみはむろん快諾。事情で流れた話となりましたが、
清順監督からのお声掛けは嬉しく誇らしいことでした。
もう両者、世外の方なのでお話しても差し支えないだろうと思うのですが・・・・
加藤治子さんが、清順監督の映画に出たがっていらしゃることを察知した
私が治子さんを推薦、即座に出演決定となったのでした。
そして、清順先生は治子さんをまるで少年のように恋した時期が
おありだったように思います。
奥様には申し訳ないけれど、古い古い話です。
そして私はあの鈴木清順の美意識に叶った男であり、脚本家なんだぞ、とおそらく
密かに一生自慢して、世を去るのだろうと思います。
清順先生、会いたいよ。もっとお元気なうち会っておくんだった。
またあちらで、よろしくお願いします。治子さんと酒盛りしましょ。